ヘレンド・干支 戌 2006年 19cmプレート [96393938]

ヘレンド・干支 戌 2006年 19cmプレート [96393938]

販売価格: 15,770(税込)

在庫数 13枚

商品詳細


オジア・シェープ
ヘレンドの主流シェープ
マイセンの#02シェープに写し
アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。
当店のお品は 総て 現地在庫を漁らず(現地では B品の販売があり その混入を避けるため) 欧州代理店を通じて 各メーカーに 発注しております。

サイズ:19cm
素材:陶磁器
※モニターの発色の具合によって実際のものと色が異なる場合があります。
オジア・シェープ
ヘレンドの主流シェープ
マイセンの#02シェープに写し
ヘレンドには オジア ロカイユ リッセ エステルハージ シェープがあります。
面白いのはバロックを代表する(マイセン#02 ジノリのベッキオ)をロカイユ(ロココ)と名付けています。ネオクラシック時代創窯のヘレンドにあっては 多分 時代を読み誤ったのでしょう? 
もしくは 歴史を古く箔付けするのに バロックでは誇張が過ぎるし ロココどまりにしたのでしょうか? 
1部学者に ロココを バロックの延長とする説はありますが バロックをロココとするのは 明らかな間違いです。
1864年閉窯の大先輩ウィーン窯の 受け入れは 絵のみ (金緑彩パセリ文ワインリーフetc.) で シェープは デコラティブな貴族趣味を旨とする ヘレンドにあっては 奇を衒わぬ機能性を 旨とする ウィーンとは 相容れず その影響は見られません。
ウィーン窯に遅れること 100年の民間・バハン陶器窯として 創立(1826)したヘレンドですが 1839年 皇帝フランツ・ヨゼフ一世に 実質的創業者モール・フィシェルが 磁器の制作を許されました。
当時のハプスブルク王家をめぐる国際情勢の中 筆頭スポンサーであった エステルハージ侯爵(ハイドンを楽長とするオーケストラも持つ 芸術に造詣の深い貴族)の依頼を受け マイセン等の コピー窯として腕を磨き 遂に 1851年 第1回万国博覧会が ロンドンで開かれた折 英国のヴィクトリア女王に ヘレンド独自の シノワズリが見出され 世に出ることになりました。
後には 中世絶世の美女と 謳われた エリザベート王女や 夫君のフランツ・ヨーゼフ一世にも こよなく愛される銘窯となりました。
モンゴリアン・フン族が 一時 ヨーロッパを席捲しました。 
ハンガリーを主要領土とする 初の独立国家を 打ち立てました。 
やがて押し返されるのですが ハンガリーは フン族が踏みとどまって 建国した 数少ない国です。
(現ハンガリー第三共和国は ウラル山脈を起源とする マジャル人の896年をもって建国としている)
マイセンのシノワズリのコピーから やがてオリジナリティー・シノワズリへの発展は フン族の末裔の 血がなせる業でしょう。
4世紀後半にはフン族が侵入、西暦433年に西ローマ帝国によりパンノニアの支配を認められ、フン族によってハンガリーを主要領土(一部現在のブルガリア・ルーマニアを含む)とする独立国家が初めて誕生した。
フン族はその後アッティラの時代に現在のハンガリーだけではなくローマ帝国の一部も支配下に収めたが、アッティラが40歳で死亡した後、後継者不在によりフン族は分裂。
結果的に6世紀にはアヴァール(突厥に敗れた柔然)の侵入を許す。その後、8世紀にはアヴァールを倒したフランク王国の支配下に移るが、フランク王国はほどなく後退し、9世紀にはウラル山脈を起源とするマジャル人が移住してきた。

ヘレンド・干支 戌 2006年 19cmプレート



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